「中絶を選んだ人にもグリーフ(嘆き)が存在することを初めて知った。」
上記は、先日行われたセミナーのアンケートに書かれていたコメントです。
自己責任論でみる人工妊娠中絶 人工妊娠中絶を選んだ人たちに対する考え方に「自分で選んだのだから、後悔や悲しみはない。」というものがあります。しかし、これは誤った考え方です。
様々な理由で中絶を選択しますが、選択した人々にとって堕した赤ちゃんは「喪失」したのです。直前まで胎内に宿っていたものが「失われる」という大きな変化は、女性や男性、その周囲へと影響を与えます。中絶後は、多くの女性が安堵感を覚えるそうですが、その後、後悔や罪責感に悩まされるのは珍しいことではありません。それ以降も、様々なことに対する怒りが生じ、鬱的な精神状況になりやすいことが分かっています。
ここで想像してみましょう。もしあなたの目の前で、中絶を選択をしたある人々が嘆き悲しんでいたとします。ある人々は鬱的な傾向を示していたとします。ある人は、怒りを周囲に撒き散らしています。あなたはそのような人々に対して、どのように感じ、何を考えるでしょうか。
もし自己責任論でこのような人々をみるなら、「自業自得。あなたの責任。じゃあ何でしたの。」という言葉が内側から湧いてくるでしょう。口には出さなくても、その人に対する見方が、私たちの態度や空気に現れます。その結果、中絶を選択した人々は、私たちに嘆き(グリーフ)を見せなくなります。そうして彼らは、1人で嘆きを処理しなければなりません。そもそも1人で抱えきれないからこそ、嘆いているのにも関わらず、個人で背負わなければならないのです。
とうぜん流産とは異なり、中絶は選択をしなければ起きないことです。しかし選択をした人々に対して、「自己責任」という態度で接しても、その人々の嘆きは拭われはしません。私たちが信じる神様が、私たちを自業自得の眼差しで見なかったように。私たちも、中絶後の嘆きの最中にいる人々を愛したい、と考えています。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(1ヨハネ4:10)
Written by 鈴木
Comments